野手編
ロブ・ディアー (94年 阪神) 70試合 .151 8HR 23打点
90年代の阪神最悪2大助っ人の一人。メジャー200発を引っさげて来日、外角低めのボールに面白いように空振りし、たまに当たる打球はとんでもない飛距離を生み出したという。三振率はブライアントに匹敵する驚異の4割弱で、「2億7千万円の大型扇風機」という名前と印象を残して故障して中途退団。打率.151(200打席以上)は外国人投手と比較しても過去最低?? ただ彼の場合メジャーでもその三振能力は実証済みだったのにオマリーの紹介というだけで獲得した球団側の責任もある。引退後指導者になった彼のセリフが「俺みたいなスウィングだけはするな」とメジャーでも大人気の選手である。
ジェフ・マント (96年 巨人) 10試合 .111 0HR 1打点
彼は巨人のフロントの甘さをついて1億5千万円を手に入れた男。メジャーでも2千万円ほどの選手だったのにこの頃の巨人はバブリーやったんやね。キャンプでは絶賛、あるコーチには「大きいのが期待できる70発は打つんじゃないか」とまで言わした。いざシーズンに入るとやっぱり打てない、あの渡辺オーナーからは「クスリとマントは逆から読んだらだめなんだ」との言われようで解雇。帰るときの彼は「巨人に感謝している」と言い残し本当にバブリー巨人に感謝していた。
現在は、パイレーツの打撃コーチとして活躍中。
マイク・グリーンウェル
(97年 阪神) 7試合 .231 0HR 5打点
阪神至上最強インパクトの助っ人外国人!2大助っ人のもう一人。メジャーリーガーバリバリの選手で球団が年俸3億5千万という大枚をはたいて獲得。キャンプ中のケガによりシーズン当初からなかなか来日せずゴールデンウィークを前に来日、ようやくメジャー仕込みの片鱗を見せ始めたかというところで自打球を足にあて右足甲を骨折。「こうなったのは神のお告げだ」と言い残して勝手に引退宣言、退団。ゴールデンウィーク(G.W.)だけ来て帰ったグリーンウェル様(G.W.)とマスコミを賑わせた。帰国後は自分の名前のついた遊園地を建設しオーナーに。彼の絶えない人気は検索サイトでのそのヒット数から見てもよくわかる。
ディンゴ(本名 デーブ・ニルソン)
(00年 中日) 18試合 .181 1HR 8打点
外国人では珍しいキャッチャー。メジャー8年間で105本という肩書きはオリンピックに出るために日本に来たのではないかと言われるぐらい開幕から大スランプ。自ら退団していった彼の年俸は2億1千万円。守備がダメで、当時三塁手のゴメスと遊撃手の福留の3人で魔のトライアングルを築き上げた。
ひそかにオリンピックではオーストラリア代表で黒木からホームランを記録。
トニー・タラスコ (00年 阪神) 102試合 .239 19HR 57打点
成績を見るとそれなりに打っているがチャンスでの空振り三振があまりにも多すぎ確実性に欠けた。性格も明るく「地下足袋トニー」という愛称もつき(イカ焼きが大好きなため)憎めない選手の一人だったが、あまりに打てなかった時期にバントヒットを狙ってアウトになった時に解説者から「主砲不在のこのチームに、誰もバントヒットする助っ人なんか求めてない!」と一喝されていた。
ハワード・バトル
(00年 阪神) 13試合 .227 1HR 1打点
2軍から上がってきてから彼の出た試合は必ず勝つという「バトル神話」までも生み出した。決して彼の活躍によって勝っていたのではなく、ほんと偶然に過ぎなかった。6月には解雇。
イバン・クルーズ
(01年 阪神) 70試合 .234 14HR 34打点
オープン戦では驚異の3冠王!シーズンに入ると内角低めの変化球に空振りの連続。解説者には「くるくるクルーズ」と呼ばれていた。そのパワーを買われて中日でプレーするがそのくるくる度はかわらずさようなら。
エドゥアルド・ペレス
(01年 阪神) 52試合 .222 3HR 19打点
父がメジャーリーグのスターらしく、01年の巨人対阪神の開幕戦でチームが16−3という大敗したことを父に電話で報告、すると「お前はフットボールの試合をしているのか」と叱咤激励をされたという。ちなみに当時の巨人長島監督の試合を振り返っての名言「いやぁ阪神もウチの投手陣から3点もとるなんて大したものです」 プレー内容は成績から想像してください。
デリック・ホワイト (02年 阪神) 73試合 .227 7HR 21打点
入団当初「俺は野球ができるなら南極だろうがグランドキャニオンであろうが打つ」と言って星野監督好みの選手だったが守備に相当な不安を抱え、骨折してシーズン途中で帰国。
スティーブ・コックス
(03年 横浜) 15試合 .200 1HR 7打点
彼を知っている人は少ないが実はとんでもない損出を巻き起こしていた。一選手がたった15試合出ただけで620万ドル(約7億円)をせしめていた。 詳しくはこの記事↓
横浜は28日、スティーブ・コックス内野手(29)の解雇を発表した。今季から年俸275万ドル (約3億円)で3年契約(3年目は横浜に選択権)を結んでいたが、春季キャンプで痛めた右ひざ
の回復が思わしくなく解雇を決めた。デビルレイズから入団したコックスは、4番に期待されたが、 けがもあって15試合で打率2割、1本塁打、7打点に終わった。笹川チーム運営部長は「中途
半端な状態で置くと現場が起用法に困る」と解雇理由を語った。
横浜は来季年俸と3年目の代償金(70万ドル)も支払う。巨額の損害に、峰岸球団社長は「授業料にしては高過ぎた」と話した。(金額は推定)
日刊スポーツの記事より
この時コックス側についた代理人があのアーン・テレム氏(松井秀喜で有名)で、横浜はきっちり620万ドル満額もっていかれた。しかも金銭トレードだったのでその金額100万ドルを加えると、横浜としてはコックス(前年年俸3000万円程度)のために720万ドルも無駄金を払ったことになる。そんな価値のある選手だったのか。。
この話題はその年一緒に入ってきたウッズが活躍してしまったために完全に影に潜めている。
クリス・レイサム
(03〜04年 巨人) 60試合 .221 7HR 17打点
一死二塁のレフトフライを捕った後にレフトスタンドにボールを投げ入れて高橋尚の完封を阻止した選手。
ゲーブ・キャプラー
(05年 巨人) 38試合 .153 3HR 6打点
巨人05年外国人野手の目玉。堀内監督のスピード野球構想のため前年Wシリーズを制したRソックスからその守備力を買われて獲得。入団当時の春のキャンプではその肩の強さはイチローのレーザービームをもしのぐと周囲を驚かせた。さらにフリー打撃では31スィング中13度のバントを披露。シーズン序盤はスピード野球の象徴として清水を差し置いてレギュラーだったが夏を前に解雇。ファンからは「清水を使え〜」と監督批難がおこっていた。退団後はRソックスに復帰して元巨人のペタジーニと仲良くプレー。
ケビン・ウィット (05年 横浜) 25試合 .172 4HR 7打点
前年3Aで本塁打王に輝いた左の大砲、ウッズの穴を埋めるために開幕から4番をまかされるがどうしようもないくらい打てなかった。チームの投手陣が安定していただけにこの4番の誤算は惜しかった。「日本の野球は難しかった」とだけ言い残して帰国。
トニー・バティスタ
(05年 ソフトバンク) .263 27HR 90打点
そこそこ打った。チームもレギュラーシーズンは1位だった。でも異常にお金がかかった選手。
メジャー通算214本という実績をもつ大型内野手として、契約金を含めて2年契約1500万ドル(15億8千万円)と契約も大型メジャー級。若手の選手の育成のため王監督などの現場の意見を尊重させた形で1年でメジャーに帰っていった。
この件で何よりも凄いのが、現場の意見を尊重してお金を噴出できるソフトバンクの資金力と孫社長の寛大さ!!いつかきっと、ソフトバンクは世界一の球団になれると思う。。
ちなみに打ち方がとても変わっていた。
ケビン・メンチ (09年 阪神) 15試合 .148 0HR 2打点
メジャー通算89HR、04年には年間26HRを記録し、06年には右打者として7試合連続HRのメジャー記録も残している。前評判はパンチ力のある打撃と攻撃的な走塁が最大の武器だった。
シーズン前から、メジャー1の頭のサイズという触れ込みで注目を集め、トミーズの雅とその大きさを争い、関西メディアを賑わせた。
しかし、本業の野球の方は、オープン戦のうちから速球に対応ができないという弱点を見抜かれて、不振をきわめる。たまたまライトのレギュラーが確定しないままシーズンに入ったため、メンチは開幕スタメンで採用。案の定、フェアグランドにすら打球が全く飛ばず、同じく不振にあえいでいた横浜のジョンソンとどちらが先にヒットを打つかプロ野球ファンの話題を独占していた。(結果:メンチが先にヒットを打つ)
4月22日にようやく体調不良を訴えてくれて、登録抹消。
その後、2軍で調子を上げて5月に1軍に昇格するが2試合でノーヒットのため、3日で2軍落ち。阪神は去年まで西武にいたクレイグ・ブラゼルを獲得したため、メンチは実質戦力外の扱いとなった。
成績を見ると、1得点とあるので、かろうじて一度はホームベースを踏んだことがあるらしい。
バーナム・ジュニア
(09年 ロッテ) 73試合 .218 4HR 22打点
チェイス・モロー・ランビン
(09年 ロッテ) 58試合 .192 4HR 12打点
この2人、日本テレビの深いい話に登場。
島田紳助に春季キャンプの様子を見られて、番組内で「あいつらは練習サボってたし、絶対に活躍しない」と批評されて「もし打撃成績10傑以内に入ったらマリンスタジアムのグランド整備にいったる」と言われる始末。
この様子をVTRで見た、バーナムとランビンは憤慨して「お前用のトンボだ!」と紳助に対して言い返した。
同年10月7日、ロッテが来期の契約更新はしないと発表したため、紳助の予想は的中した。
投手編
エリック・ヒルマン
(97、98年 巨人) 2試合 0勝1敗 防御率 3.00
伊良部・小宮山と並んで3本柱で活躍したロッテでの成績は申し分ないが、巨人に移籍したとたん肩の違和感により何かと練習をサボる。2年契約5億円の彼は1年目2試合、2年目は登板なしの全く機能せず。名言として「肩に小錦が乗っているようだ」がある。2軍でも昼過ぎには練習を切り上げ帰宅していたため「昼マン」とも呼ばれていた。ちなみに成績は巨人時代のみ。
ダン・ミセリ (05年 巨人) 4試合 0勝2敗 防御率 23.62
球団の課題であったストッパー確保のためメジャーでの実績と「153キロ右腕」の触れ込みで入団。開幕戦から連続の抑えの失敗に4月19日には即刻解雇。帰国直前に浅草で家族観光をしているところをスポーツ紙に目撃される。プレーの印象以上にこの記事のインパクトが大きい。帰国後はもちろんメジャー復帰。本人いわく「ホームランを打たれるのは日本の球場が狭いせいだから」らしい。
クリストファー・ライト (05年 西武) 2試合 0勝1敗 防御率 40.50
成績ではミセリを越える。1軍で4つのアウトをとる活躍、今シーズン、ミセリに次ぐ早さで5月いっぱいで解雇。
随時追加 工事中。 やきゅうのページへ
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