夏に向かっていくにつれて、少しずつある血液データがあがってきた。
その値がsIL-2R(可溶性インターロイキン2レセプター)
(通称ソリブル)
通常この値は、血液腫瘍、感染症、リウマチ、などの免疫系。。。
簡単に言うと、GVHDの指針やリンパ系の腫瘍マーカーとされているらしい。
基準値: 190〜650 U/ml とされているらしく、
やっつぁんは移植退院後から1000を超える高水準で過ごしてきた。
そのせいもあって、そけい部のリンパ節が膨らんできた時に、
再発か2次性ガンの疑いをもって検査を行ってきた。
そして、夏に近づいてきてその値が3000を超えるまでにwww
単純にGVHDのせいでは?と思いつつも、新たな検査をすることになった。
そけい部のリンパ節の生検!
「疑わしいものは、取って調べてみようという♪」
夏に向けて、学校も忙しくなるからその前にちゃんと調べて
スッキリしておきたかった。
生検は6月13日(水)に決定。
これで問題なく先生のお墨付きで学校に通えるぞ!と思っていた。。。
入院1週間前。。。
10日(日)
大学のスクーリングに通っていたら、少し風邪の兆候がチラホラ。
夜には姪っ子の子守りをまかされていたので、急いで帰ってきて面倒を見る。
夜9時になって、微熱から38.4℃の本格的な熱へwww
次の日も、その次の日も熱に悩まされる。
生検前日、あまりに熱がひどく続いてたので、主治医に本当に受けて大丈夫なのか電話で尋ねたところ、「いいですよ」のGoサイン!!
13日(水)
生検当日。移植病院での生検はお初!
今まで行ったことのない手術部に初潜入。
地球防衛軍の秘密基地みたいなところをぐるぐる回って、手術台へ。
30分ほどで生検は終了した。
その夜。。切開した影響もあって熱・咳ともに悪化www
17日(日)
この日まで熱・咳は1週間続いていた。
でも内科の診察には行かなかった。行けなかった。。。
実は大学の授業がレポートの課題が出る日。せっかくお金もかけて申し込んだのでもったいない気持ちが勝って、「あと一日」と通学することに踏み切った。
今思えば通学できたことが奇跡に近い。
通学中は何度も息苦しさでうずくまりながら、休憩しては学校に向かうの連続。
授業はずっと同じ席から動かずなんとか最後まで受けてレポートの課題だけは聞いて帰れた。
そして、待ちに待った血液内科の外来日!
18日(月)
予約の時間は13時。。。
救急車も考えたけど、タクシーで病院に向かった。
採血をすまして順番を待つ待つ待つ。。。
ようやく自分の順番がやってきた!
さっそく、いつものようにサーチレーションを計ると。。。
「酸素濃度 78%」
マジ!!
先生の聞きなれない驚きの声の直後に、即座に別の処置室に移動してすぐに酸素吸入の処置が行われた。
「このまま入院です」「来るとき相当息苦しかったんじゃないの」「もっと早く来なきゃ」とたくさん叱られて、そのまま流れるように入院となった。
肺炎入院 6月18日〜7月14日
入院1日目
胸部のレントゲン→CT撮影がすむと、個室へと入院。
鼻には酸素チューブあてられ98%くらいをキープ、酸素のおかげで生かされているカンジ。
夕食、久しぶりの病院食。味気はないけど栄養はしっかり摂れそう。
部屋にも落ちついて、抗生剤(メロペン、ファンガード、デノシン)の点滴を受けながらゆっくりしていると急に胸が苦しくなってきた!
39℃以上の発熱を伴い、どんどん息苦しさが増していく。
酸素濃度が一気に下がり始めて、90%を切る状態。
鼻チューブから酸素マスクに取り替えて吸入量を上げてみるが、みるみる下がっていく。。。 次にリザーバーマスクに替えて、酸素は8Lまで上げてもそれでもまだ下がり続ける。
ついに最終手段のステロイド(パルス)の投入。。。
一進一退の中、「悪化するようなら挿管をして人工呼吸器を付けるよ」と先生の声が聞こえる。
挿管なんてしたくない。
意識が飛んでの治療なんて、、やりたくない。
なんでこんな状態になってしまったん??一つも笑えない状況で、ここ数日の自分の無茶を悔やんだ。
赤ちゃんにもらった生命って、
こんなに繊細で大切なものやったんや。。
するとステロイドの効果が効いてきたせいか、ようやく酸素の降下が下げ止まりをみせた。
その晩は一睡もすることなく次の日の朝を迎えた。
入院2日目
一夜が明けて先生から言われた言葉は、
「まだ 最重症から超重症 になっただけ」
先生の言葉どおり、まだまだ予断を許さない状況にはかわりなかった。
酸素マスクをつけているため、身動きは一切とれず。一度動けば酸素が急激に低下するためトイレも一人ではできない状態。
1年ぶりにあんなに嫌いやった尿道のカテーテルもつけられて、ほぼ寝たきり。
もちろん食事もできずに絶食が開始。
入院3日目
IVHの挿入処置をした。ナースステーションに一番近い個室へ移動。
少しずつ動けるようになってきたが、まだまだイモムシ並み。
入院4日目
初めての安眠。リザーバーマスクから普通の酸素マスクへ。
看護師さんの援助つきで歯磨きとうがいができるようになった。
寝ていても天井しか見ることがなかったので、寝転びながら手書きで大学のレポートを書き始めた。このためにここまで悪化したんやけどな(^^;
パソコンがやってきてネット接続OKに!でもみんなにまだ報告できず。
入院6日目
酸素マスクが鼻チューブへ。これで会話ができるようになった。
体重は一気に6kgも減量。。恐るべし絶食生活www
ビリーもびっくりの入隊(院)トレーニングwww
レポートもなんとか完成。
入院7日目
ようやくネットに今の状況を報告。
反省しきりで色んな人にごめんなさい(_ _ ;)
入院8日目
尿道カテーテルとおさらば!洗髪がOKに♪
入院11・12日目
酸素吸入が終了!
入浴もOKになる。
入院17日目
院内フリーに!一人で買い物にも行けます(^^)
調子も良くなってきてスピード回復!
退院前日にはカキコミストのごんぞうさんもお見舞いに来てくれた。
普通肺炎入院なら3ヶ月かかる人もザラじゃないのに
1ヶ月足らずで退院が決定!
入院27日目
無事に退院することができました!!
今回の入院について。
今回の入院の原因は重度の肺炎。
入院初日に急激に悪化したため、肺の内視鏡による生検など詳しい検査ができなかったせいもあって原因は特定できなかったけど、ウィルスや感染系統も陰性だったので、GVHDによる肺炎という診断になった。
さい帯血移植後の患者さんに多くみられる疾患らしく、何度もぶり返して入退院を繰り返す人も多いらしい。
入院前にさかのぼって前症状がなかったか考えてみると。。
食後の急激な腹痛とそれに伴う下痢症状、全身皮膚の白斑症状や乾燥や爪の縦割れ、慢性GVHDによるものと思われる症状はたしかにずっと出ていた。そして、入院1週間前に風邪をひいて38℃以上の熱を出していた。そんな中でのそけい部のリンパ節の生検外科手術。更には無茶な通学とが複合的に重なって、結果、重度の肺炎入院に至った。
反省点大アリです。。。(_ _ *)
入院日の外来時には78%のサーチレーションを叩き出して酸素マスクまで、一時は挿管処置の一歩手前までいったぐらい。。。
ステロイドの大量投与のおかげで最悪のケースを免れたけど、どうなっていてもおかしくない状態やった。
その後も一週間の寝たきり(レポートは仕上げたけど)&絶食を経て、順調に回復することができ看護師さんらもビックリの4週間弱で退院することができた。(長引くと3ヶ月はざららしい。。)
順調にここまでいけたけど、代償もそれなりにある。
ステロイドの使用によりさい帯血のGVL効果までもなくしていること。
言い換えれば、原病をおさえていた魔法を解いているということ。
今のところ順調にステロイドの量も減らしてきているけど、どう転ぶかは誰にもわからない。ただリスクは大きくなったということ。
今回の退院は、前回の時とは感謝の重みも意味合いも違う。
さい帯血のお母さんからもらったはずの大切ないのちを、粗末に扱った自分がとても恥ずかしくて情けなかった。
酸素マスクをつけて危なかった夜、先生に手を握ってもらって心の底から思った。
このカラダは自分一人のものじゃないし、一人で闘ってるわけでもない。
周りの先生や看護師さんももちろん家族や仲間といっしょになってこの病気と向き合って、みんなで乗り越えようと闘っているんやと。
反省点の多い今回の入院はちゃんと教訓になって、その後の生活の
心の安全ブレーキになっていく! (はずだったwww)
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