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転院〜移植前



白血病細胞がすこし増え始めて移植の話が固まった。
移植方法は さい帯血移植 で時期は2月末。
ということで1月末に転院することになった。



 移植のための転院は決まっていたけど悪い細胞が増えてきていたから移植する前に少しでもいい状態にもっていくために治療をすることになった。薬は以前使って効いていた赤い色が目印のダウノマイシン
 おかげで転院のときは化学療法直後で白血球はだだ下がり状態やった。


 転院の日は大送迎やった。
 ちょうど朝の申し送りの時間とかさなったおかげもあって、お世話になった看護師さんや先生方に加えてなぜか研修に来ていた看護学校の生徒さんの大勢の前でお別れのあいさつをすることになった。
 ひっこしの荷物に花束を一つ加えて、元気になったらまた絶対に遊びに来ると約束をして市民病院とサヨナラをした。


 転院の手続きを済まして、大学病院へいざ入院!!
 病棟に入った瞬間から市民病院とは全てが、環境が明らかに様変わりした。
 入口の物々しいハイテクな自動ドアにまずびびって、ドアの向こう側からは全室クリーンな状態になっていて空調の音がずっと鳴り響いていた。

 とにかく市民病院と比べてはるかにキレイやった。

 最初の部屋は2人部屋。
 治療を進めていくにあたって、3人の主治医(担当主治医のM先生、副主治医のS先生、研修医の先生)と担当看護師のNさんの4人体制で診てもらうことになった。
 これからの治療方針の説明・確認をしているとM先生がサラッと「2月23日の移植日に向けて進めていきますね」と言った。

 2月23日っ?!いつの間にか一日早まってるし。。。

 どうやらスタッフの体制を考えるとこの日がいいみたいで、、、あっさりと

  移植日が2月23日(木)になった。




 この病院では携帯・PHSは一切使用できないためネット環境は個々の電話回線でつないでの電話代が使った分だけかかるダイアルアップ接続になってしまった。
(今考えると病院なんやから仕方ないよなぁ。。。)

 他にも前の病院とは違う点が目白押し!

 薬の管理    →  種類増量&各自で管理
 蓄尿       →  常時溜めつづける
 うがい      →  起床時・毎食前・15時・就寝前 の1日5回以上
 体重測定    →  朝夜食前の1日2回
 先生の回診   →  3人の先生から触診で体中をこねくり回されまクリマクリスティ!

 教授回診    →  隔週に1度の白い巨塔状態!
               教授を先頭に先生方々がゾロゾローっと、患者さん一人一人を診察



 その後、検査検査の連続!!

 胸・腰・副鼻腔部レントゲン、心電図、皮膚科受診、耳鼻科受診、呼吸器科で肺機能検査 心臓エコー、腹部エコー、歯科受診、眼科受診 


 タイヘンやったのが歯科受診で、その場で親知らずを2本も抜歯することに!
 (移植の際に問題なのが虫歯。細菌は徹底的に排除するため虫歯は引っこ抜いて移植に臨む!)

 でも幸い、
 2本とも凄く抜きやすい形で生えていたので歯科医の先生が4・5分ぐらいであっさり抜いてくれた。




 そしていまや恒例の 大学病院で初のマルク!


 悪い細胞が増えてきての転院だったのでこのマルクにかかるプレッシャーはとてつもなかった!!
 シカーモ!
 大学病院特有の
研修医の女医さんのマルク!!(・ ・ ;)ダイジョウブ!?

 女医さんの豪快な刺しっぷりと抜きっぷりのマルクの結果は
 その日の夜のうちに出て。。。


 S先生「マルクの結果だけど、ザッと見たところ非常に、、、キレイだったよ」

 えっ!?非常にキレイ?? どういうことや。。。
 S先生
「今までの治療経過を見た中でも、一番良い寛解状態ですよ」

 どうやら転院前に入れた
ダウノマイシンがやっつぁんの白血病細胞をバチコーンとやっつけてくれたらしい!!
 市民病院のY先生、本当にありがとうございます!(T □ T ; )))




 移植前にいい状態にもってこれることができて
 最後に放射線科。前処置でのTBI(全身放射線照射)の説明を受けた。
 目と肺が他の臓器と比べて放射線に弱いらしいから、その部分だけを放射線の量をカットしてくれる障害物をかたどって受けるらしい!科学医療の進歩に驚かされる。
 担当の先生からリスクと効果の説明。1日1回30ガロン (3グレイ)を移植日当日までの4日間のコースで計120ガロン (12グレイ)の放射線を浴びるらしい。人が一生(80年)の間に浴びる自然界の放射線量はおよそ0.2ガロン(?グレイ)らしくって、実にその600倍のもの放射線を当てるらしいから数字を聞いてみてスゴイの一言!

(*この時の放射線の単位はグレイ(Gy)と表記します。当時聞き間違えて書いていました。上記のように600倍であるかは定かではありません*)

そして、
移植部屋の見学会。通常は頑丈なトビラの向こうにあって直接は見にはいけないけど家族の面会用の通路があってそこからの見学になった。移植部屋は思っていたよりは開放的で無機質な個室。このときはまさか3ヶ月間もここに入るとは思ってもいなかった。。。


先生から移植前の説明があった。
前処置をする前に、軽いケモを3日間入れる方針がきまったらしい。
前回のノバントロンの化学療法がとてもよく効いていたから、同じ薬を使って軽いコースを入れたいらしい。その後、本格的な移植を行う予定。



ひと通りの検査・受診が終わって、外泊許可が出た
移植前さいごの外泊。しばらくシャバの世界とはさよなら。
1日目はたしか姉夫婦と焼肉屋、2日目は友達と映画館で『THE有頂天ホテル』を観に行ってランチにスパゲッティのお店に行った。外泊はあっというまにおわっていよいよ!



 移植前さいごの
マルク。
そして、
IVHの挿入外科手術。埋め込む場所はずっと首からだと思ってたけど右鎖骨の下あたりから入れる皮下トンネル方式。(←感染症にかかりにくい入れ方)小児科の先生が担当してくれて3・40分ほどで管はすんなり入った。

主治医の先生らと担当看護師さん、やっつぁんと保護者として姉の6人で移植に関する説明と移植前の最終意志確認
 その場で同意書にサインをして治療が始まった。



 いよいよ!
 移植前処置前のキロサイドダウノマイシンによるケモ(化学療法)が始まった。

これは前回のケモの6割程度の量らしい。3日間のガマンガマンと自分に言い聞かせて小ケモに挑んだ。

 2日目の夜から腸内殺菌の飲み薬ファンキゾンシロップが出てきた。
 見た目がまず気持ち悪い〜やまぶき色のペンキみたいで、ニオイがちょっとやばい。一人でよう飲まんかったから看護婦さんをわざわざ呼び出して説明をしてもらった。どんな味なのか聞いてみると「味は、甘マズイよ♪」 その言葉は間違いなかった。。。(この日から退院してしばらく経つまでの10ヶ月以上飲むハメになるとは)
3日目が終わる頃、テレビではトリノオリンピックの開会式が夜な夜な放送していた。



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