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前回のキロサイドの治療でよく効いたから
今回も治療のレベルを維持したままキロサイド大量療法。
骨髄移植までこのまま寛解状態を維持していく。


 前の治療ですっかり体調も良くなって治療への意気込みも前向きに変わっている。さあドンと来い!という気持ちになっていた。
 そして、
髄注をも甘く見ていた。

 先生から今回は髄注いれるよと聞いていて、大した量の抗がん剤も入ってないしサラッと治療に入っていくと思っていた。すでにマルク・髄注のベテランになり始めてきて、針を刺す瞬間から骨髄を抜き取る感覚、抗がん剤を入れる過程がよくわかるようになってきた。最初針がうまく入らずに穴がプスリプスリと増えていくのがわかる。。。やっと入ったと思ったら骨髄液を抜く時のいや〜な感触、先生が「じゃあ、行きますね」と言ってからゆっくり薬を入れていく感じ、だんだん背骨がしびれてくる、、、最後におしり(尾てい骨)のしびれがきておしまい。

 元気になってわかったことが一つ。
 白血病の熱や症状がなくなった今、ほんのわずかな抗がん剤やったとしても 毒物 以外のなんでもない!
 その日から一気に体調が悪くなって前までの元気はどこかに行ってしまった。
 \(; − 
元気な日々さようなら


 次の治療への不安が大きくなってきた。




 治療の前日になって入院生活で貴重な体験ができた!

 午前中に、母方の叔父さん一家がお見舞いに来てくれた。突然の来院やったから驚いた!
 叔父さんの娘息子さん、言ってみればいとこのお姉ちゃんお兄ちゃんらも来てくれて、実に10年振りぐらいの再会やった。来てくれていろいろ話しているうちに、たまには顔を出しに行かないとあかんねんな〜と反省。。。( ; ー   ー)

 叔父さんらも帰って夕方、前日くらいに友達が出産したという知らせを聞いていたからお見舞いしに行くために外出した。
 友達の赤ん坊は生後2日やのに男前で少しも泣かない男の子やった。名前がジョウタロウっていうところが、もうすでにかっこいい!
 ジョウタロウ君は授乳後というのもあってずっと眠っていたけど、あんなに小さいのにほんと男前でしっかり生きていた。生命力をひしひしと感じた。

 この日できた貴重な体験とは、お見舞いされるコトとお見舞いするコトの両方を一日でしたという体験!!



 4回目の化学療法が始まった。
 今回も前の治療と同じ
キロサイド大量療法。使用する抗がん剤がキロサイド・ラステット。このラステットの抜け毛力がハンパじゃなかった!

キロサイドが朝と夜に2回、ラステットが夜に1回 を点滴で落として4日間連続で続けるメニューだった。

 1日目からいきなり先制パンチを食らって、昼にはダウン↓↓
 吐き気と全身の関節の痛みが出てきた。

 夜になってからが恐ろしかった(><)
 体中がイタイ!夜中の1時に関節だけじゃなく足を重ねて寝ているだけで、重なった部分(軽く圧迫されたところ)が痛みから激痛に変わってきた。足が棒になるくらい歩いた日の足の痛さのカンジを全身にまわして10倍くらいの痛みにしたような痛さ。
 普通に寝てても自分の重みやフトンの重たさだけで圧迫されたところがイタイ!全身毒素満天ていった状態。
 気がついたら寒くなってきてすぐに高熱が出た。入院当初以来の40℃越え。。。治療初日から完全に打ちのめされた。。。

 2日目からの治療のことなんて考えられんかった。絶対に途中で中止になるとおもった。

 でも幸いそれ以降は、熱こそはあったけど38℃付近でおさまって、全身の痛みも引いてくれた。
 ただひたすら我慢。じっとして時間が過ぎるのを待った。



 なんとか抗がん剤投与は終わった。これから血球が下がってクリーンルーム生活、上がることを待つ日々。



 最初に出てきた症状が全身のかゆみ。肌は真っ赤になってカッサカサ。前回よりはマシやったけどなかなかのかゆさ!肌の状態を見ていたら吉井怜さんが女優復帰したことがミラクルに思えてくる。。
 次に、すごいダルさ。看護婦さんが言うには貧血から来てるらしい。この血球が下がっている時期のダルさは治療中とびっきり1位のしんどさになる。高熱より手強い〜〜


 治療を始めて一週間目には白血球が180までに下がって即刻クリーンルーム行きになった。
 本当ならこの週に友達がたくさん来る予定やったけど全員キャンセルで、年末以降までお預けになってしまった↓


 でも、トイレが不便なことと風呂に入れないこと以外はクリーンはお気に入り♪♪
 理由は静かで、ずっと寝てても誰にもジャマされへんし、看護婦さんがよく来てくれるから!!
 最近では、こんなに喋る性格やったかな〜と思うぐらい人と話し出すと止まらへん。いい変化や!

 ラステットのおかげで今回の抜け毛率は群を抜いてトップであっというまに頭がツルツルになった☆
 それに付け加えてクリーンベッドが頭上から風を送ってくるもんやから頭が寒い寒い!!冷たいから寝る時まで帽子をかぶってた。でも、次の日にはツルツルの頭にかわいいうぶ毛が生えていた(←風による刺激効果!?)

 クリーン3日目には入院生活新記録となる白血球数が50になってた!!
 これには驚き!!(゜ Д ゜ ; )
 その割には元気に一日中歌って過ごしてた!


 しばらくして白血球が1300とジャンプアップ♪♪これは次の採血にもクリーン解除か!?
 と喜んだけど血小板が異常に少ない。。2000しかない。
 ちゃんと血小板輸血もしてるのにこの数字はおかしい!なんでやろ??
 疑いに上がったのが血小板に抗体ができた可能性が浮上。。

先生が言うには、
  輸血した血小板に対しての抗体ができてしまったかもしれないとのこと。
 どういうこと?
  血小板にもHLAの型があって、輸血の際にたま〜に抗体を作ってしまうらしい。
 じゃあ、どういうことが起きるのか?
  輸血した血小板は抗体によって破壊されて役目を果たさない。
  だから今は自力で血小板が上がってくるのを待つだけ。 
 とりあえず今は何とも言えないから採血をして日赤に送ってその結果待ち。一応たとえ抗体に破壊され続けても血小板の輸血は行い続けるらしい。
 もし抗体ができていたら?
  血小板を輸血する際はHLAのあった血小板を前もって予約しないといけないらしい。
  移植の時も少し手間がかかることになるらしい。ちょっとめんどうそう。



 ところが、日赤での検査結果は陰性で、抗体の心配はなし!
 結局今回の治療では原因がわからないまま、血小板が自力で上がってきて10日間でクリーンルームが明けた。
 なんか不安。。。




 クリーンが明けた日に一つ悲しいニュースがテレビから流れてきた。
 前オリックス・バファローズ監督の仰木彬氏が亡くなった。

 ニュースを知ってものすごく驚いた。

 仰木監督といえば野茂やイチローを育てた偉大な名将、つい今シーズンまでオリックスの監督を務めていた。
 健康面の理由で監督を退任したことは知っていたけどまさかこんなに早く亡くなるなんて。正直ショックが大きかった。。。
 本当に素晴らしい監督さんで近鉄監督時代88年のダブルヘッダーで優勝を逃したことや、震災後の「がんばろう神戸」との合言葉での日本一は凄い印象的。

 今シーズン監督に赴任する時に言っていた言葉が
 『グランドで死ねたら本望。野球人生のさいごのさいごにこれで恩返しができるのなら喜んで引き受けましょう!』
 シーズンの最終戦では一人では歩けない状態だったらしい。
 自分のことを考えた。人生のさいごに自分は何が残せるやろうと。きちんとみんなに別れを告げてから逝くのか、突然亡くなってしまうのか。どっちだとしても、いまを生きることに精一杯でありたい!
 そして夜に、本田美奈子さんの特集番組がやっていた。最後のちょっとしか見てないけど、ひと事のように見ていて胸が詰まった。あらためて同じ病気やねんなぁと考え込んだ。

 だからといって、前みたいに気持ちはゆるがない!いまはしっかり前をこれからのことだけを考えられている。

 そんな自分が頼もしい。
 入院生活で培ってきて大きく変わったことがココ。
 ココロに少しずつやけど余裕が持てるようになってきている。
 自分のことがどんどん好きになってきた。

 これから、ここから。



 クリーンから解放されて間もなく、入院以来4ヶ月振りほんと久しぶりとなる部屋の引越しをした。長く居座ってた病室だけに愛着がわいてて半ば追い出されたカタチやったけど、引っ越した分だけ部屋も広く荷物の整理が出来ていい感じの部屋ができた!むしろ引っ越して大正解!!


 クリスマスも人生初となる病院で過ごした。日ごろお世話になってる看護婦さんにクリスマスケーキをおすそ分けしてきた。すると、うなるぐらい喜んでくれてこっちまで嬉しくなった。



 年末年始はちょうどウマイ具合に治療休みと重なることができて家に帰れた。
 年越はいとこの家で家族いっしょにのんびり紅白を見ながらゆっくり過ごした。

 あんなに嫌で早く終わって欲しかった2005年が無事におわって新年を迎えることができた。
 でも2005年は、いろいろなことを気付かせてくれたいい一年やった。


 
2006年の初詣、親戚との新年の挨拶まわり、友達と遊ぶ遊ぶ遊ぶをして、お正月はハードに過ごして病院に戻ってきた。
 ちなみにおみくじは 
 いいことばっかり書いてあったから、それを信じて絶対に元気になってみせる!!


 先生からの新年最初の知らせは、骨髄提供のドナーとのコーディネートが遅れてるとのこと。早くいい知らせが欲しいな〜


 その日のうちにマルクを行って翌日結果。

 すこし怪しい細胞がチラホラしているらしいけど、今回も
完全寛解(CR)
 浅い寛解状態らしい。(芽球4.7%)
 移植の予定が延びているけど辛抱強く待つだけ。これからこれから。




 ただ、突然コトが動いた。
 主治医のY先生が骨髄バンクのドナーコーディネート状況を大学病院側と確認の連絡を入れたら、どうやらうまく進んでいないらしくどんなに早く進んでもこれから3ヶ月後との知らせがきた。
 前回のマルクで、治療中にもかかわらず怪しい細胞が増えてきたことを考慮して大学病院側に標本を送って見解を得たところ
「さい帯血移植でいきましょう」  との、やる気満々の返事!!

 
コーディネートの進展状況、マルクの結果、第1寛解期の移植、骨髄移植とさい帯血移植のメリット・デメリット
 この全てを考えてふまえた上で決めた!

さい帯血移植でズバンッ!と治してみせよう!!!!

 あっさり決意できた一番の要因は、大学病院の先生のやる気に乗っかってみたかったから!



 コトが決まると一気に加速していくもので

 移植日は2006年2月24日(金)
 転院日はもうすぐ!
10日後ぐらい!


 移植日から逆算していって予定がホイホイと決まっていった。


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